エスペランサ便り

洋画、横浜、ピアノ等について書こうと思います。クイーンの来日が楽しみです。

子供の時に習っていたピアノ

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河出書房のクラシック全集

ピアノは4歳から中学1年まで習っていました。発表会に出たのは小学校5年のアルプスの夕映えを演奏したのが最後なので、ピアノの面白さがわかる以前にやめてしまい残念です。ピアノの先生が自宅に教えに来てくれる今思えば、贅沢な環境で習っていました。音大の声楽家の先生に教わっていたので、ソルフェージュや調音なども行い、コンコーネの歌を歌いました。ハノン、チェルニー40番、バッハインベンション、ソナタアルバムの2とシューベルトのアムプロンプチュとモーメントミュージカルの一部まで進んで辞めてしまいました。辞めた理由は、ピアノの先生が結婚のため、通えなくなったからでした。

高校生の時に1年ほど農大の父の後輩で、横浜交響楽団の打楽器を演奏をしている方からピアノを教わりました。その先生も家に通ってピアノを見てくれました。納豆屋さんの自営業をされている方でした。ソナタアルバムのやり直しは、さすがにつまらなかったのでショパンを弾きたいと言ったところ、ワルツの一部を見てくれました。その後高校3年になって受験勉強をするため、ピアノとは無縁の生活をおくることになりました。

ピアノを弾く習慣がなくなってしまうと、家にピアノがあるのに全く触れなくなってしまいました。亡き父が買ってくれたピアノは、象牙の鍵盤でできていました。ピアノは4歳の時に家に来たのですが、当時の父の給料では高い買い物だったと思います。埼玉の公団住宅日本住宅公団は、今のURでしょうか。公営住宅とは違うようです。都心で働いている30代位の若い夫婦が多かったようで、団地の楽しいイベントが沢山あった記憶があります。)でピアノを弾いていました。当時のテレビアニメの鉄腕アトムなどを弾くと、男の子が面白がって、団地の外に集まったようです。ピアノ殺人事件が発生する以前ののどかな時代でした。

私が6歳の時に、父がルービンシュタインのコンサートに連れて行ってくれました。当時の自分に理解できたか不明ですが、大人しく聞いていたと思います。家に河出書房が出版した豪華なクラシックレコードと解説本がありました。そのLPを何度も聞きました。小学校2年の頃に夢中になって聞いたのは、チャイコフスキーのピアノコンチェルト1番です。

8歳の時に埼玉から横浜に引っ越しをしました。担任の先生が、音楽の時間に伴奏をして欲しいと言うので、オルガンで伴奏をしました。当時の音楽の教科書には、駅馬車などの西部劇のテーマが載っていたと思います。ピアノ用の楽譜はなく、耳コピーでの演奏です。

中学校の入ってからは、ピアノはやめていたのですが(剣道部に入っていました。)クラス単位の合唱のイベントで、ピアノを伴奏することがありました。音楽の時間の後に当時好きだった洋楽やJpopを弾いて遊んだ記憶があります。

大学に入ってから、先輩や従妹の結婚式でオルガンやピアノの演奏を頼まれたことがありました。社会人になってから、アメリカ人の友人ができ、帰国後にアメリカの実家に招待してもらったことがありました。家にピアノがあったので、ショパンなどを弾くと喜ばれました。友人のお父様は、若い時は会社を経営していましたが、ハウスビルダーでもあり、自分の家を建ててしまう人でした。ジャズピアノをとても上手に演奏していました。

結婚後賃貸マンションで暮らしていましたが、音の出る楽器は禁止であることとピアノを買う余裕がないため、本当にピアノとは無縁の生活になりました。

私がピアノを再開したいと思ったのは、親父バンドで楽しそうにベンチャーズを聞く人たちの演奏を聞いたからです。マンションを購入し引っ越しをしたのを機会に、電子ピアノを購入しました。自分一人で練習をするのには、どこから手を付けて良いのかわからないので、ネットで家の近所で習うことができるピアノ教室を探し通うことにしました。そのピアノ教室で月に1回ピアノを習っています。

今練習をしている曲は、バッハ 平均律6番フーガ、リスト カンパネラ、ショパンノクターン4番(Op15 No.1)です。またの機会にどのように教わったか書きたいと思います。